第44番札所:大寶寺の概要
名称 | 菅生山 大覚院 大寶寺 |
---|---|
名称読み | すごうざん だいかくいん だいほうじ |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
開基 | 明神右京・隼人 |
創建 | 大宝元年(701) |
真言 | おん まか きゃろにきゃ そわか |
大寶寺は、四十三番明石寺からの道のりは約80㎞、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す遍路ころがしの霊場のいわれています。
四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、中札所といわれており、四国山地に囲まれた標高579mに位置し、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂っています。
縁起は大和朝廷の時代まで遡り、百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していました。
飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀りました。
ときの文武天皇(在位697?707)はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで大寶寺と号し、創建されました。
弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めました。
仁平2年(1152)、全山を焼失しましたが、直後の保元年間(1156?59)に後白河天皇(在位1155?58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺としました。
このときに菅生山の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどでした。
その後天正の兵火で再び焼失、松山藩主の寄進で復興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなったが、さらに明治7年には3度目の全焼、火災との苦闘を宿命にしました。
第44番札所:大寶寺のアクセス
住所 | 〒791-1205 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2-1173 |
---|---|
電話 | 0892-21-0044 |
駐車場 | あり(無料) |
宿坊 | 有り |
公式サイト | - |
大寶寺へ参拝してきました
大寶寺の入り口です。それでは中にはいって行ってみましょう。
大寶寺の入り口
大寶寺の駐車場
大寶寺の駐車場です。
こちらが一番下の駐車場です。ここから約200mほど歩くと歩道が出てきます。大寶寺の山門
大寶寺の山門です。
駐車場から山門までもちょっと歩きますが、山門を超えて本堂までもかなり石階段が続きます。大寶寺の手水場
大寶寺の手水場です。
大寶寺の鐘
大寶寺の鐘です。
大寶寺の本堂
大寶寺の本堂です。
大寶寺の大師堂
大寶寺の大師堂です。
大寶寺の納経所
大寶寺の納経所です。
一番上の駐車場
大寶寺の一番上の駐車場です。
大寶寺の御朱印
大寶寺の御朱印です。
2014年11月10日に訪れた時の情報です