第57番札所:栄福寺の概要
名称 | 府頭山 無量寿院 栄福寺 |
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名称読み | ふとうざん むりょうじゅいん えいふくじ |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
開基 | 弘法大師 |
創建 | 弘仁年間(810〜824) |
真言 | おん あみりた ていせいから うん |
栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全、福寿増長の祈願寺として往古から信仰されています。
縁起によると、嵯峨天皇(在位809?23)の勅願により、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間でした。
内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法されました。
その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂いました。
そして、この阿弥陀如来の尊像を府頭山頂で堂宇を建て、本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされました。
栄福寺には、神仏混合の歴史もあり、その由来も平安時代に遡ります。
貞観元年(859)、大和・大安寺の行教上人が宇佐八幡(大分)の霊告をうけて、その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するため、近海を航行中に暴風雨に遭い、この地に漂着しました。
ところが府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあることから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられています。
この八幡宮は伊予の石清水八幡宮とも呼ばれ、四国五十七番と仲良く寺社名を刻んだ石塔の道標が立っています。
明治新政府の神仏分離令により、寺は旧地から山の中腹になる現在地に移転し、また神社と寺はそれぞれ独立しました。
現在の大師堂は、山頂にあった堂舎を移築した由緒があります。
また、栄福寺が所蔵している江戸中期の手書きの納経帳にも別当 栄福寺の墨書きがあり、また同じく江戸時代の版木で押された納経帳でも別当 栄福寺の名がみられ、納経を明治維新からではなく、古来より行っていたことがわかります。
第57番札所:栄福寺のアクセス
住所 | 〒794-0114 愛媛県今治市玉川町八幡甲200 |
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電話 | 0898-55-2432 |
駐車場 | あり |
宿坊 | 無し |
公式サイト | - |
栄福寺へ参拝してきました
栄福寺の入り口です。それでは中にはいって行ってみましょう。
栄福寺の駐車場
栄福寺の駐車場です。
栄福寺の手水場
栄福寺の手水場です。
栄福寺の鐘
栄福寺の鐘です。
栄福寺の本堂
栄福寺の本堂です。
栄福寺の大師堂
栄福寺の大師堂です。
栄福寺の納経所
栄福寺の納経所です。
空海像とお砂踏み
栄福寺の空海像とお砂踏みです。
お願い地蔵
栄福寺のお願い地蔵です。
栄福寺の御朱印
栄福寺の御朱印です。
2014年11月11日に訪れた時の情報です