愛媛県の霊場

第49番札所・浄土寺

2023年8月19日

第49番札所・浄土寺

第49番札所・浄土寺の本堂

第49番札所:浄土寺の概要

名称 西林山 三蔵院 浄土寺
名称読み さいりんざん さんぞういん じょうどじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 釈迦如来(伝行基菩薩作)
開基 恵明上人
創建 天平勝宝年間(749〜757)
真言 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

浄土寺は、境内入口に正岡子規の句碑 霜月の空也は骨に生きにけるが立っています。

浄土寺は空也上人(903?72)の姿がいまに残る寺であり、腰のまがったやせた身に、鹿の皮をまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、南無阿弥陀仏を唱えるひと言ひと言が小さな仏となって口からでる姿が浮かびます。

道路を補修し、橋を架け、井戸を掘っては民衆を救い、また広野に棄てられた死体を火葬にし、阿弥陀仏を唱えて供養した遊行僧、念仏聖です。

この空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は、縁起によると天平勝宝年間に女帝・孝謙天皇(在位749?58)の勅願寺として、恵明上人により行基菩薩(668?749)が彫造した釈迦如来像を本尊として祀り、開創されました。

法相宗の寺院だったといわれており、のち弘法大師がこの寺を訪ねて、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗しました。

そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方におよび、66坊の末寺をもつほどでした。

空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957?61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれました。

鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復しましたが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469?87)に領主、河野道宣公によって再建されました。

本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されています。

第49番札所:浄土寺のアクセス

住所 〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198
電話 089-975-1730
駐車場 普通20台・有料
宿坊 無し
公式サイト -

浄土寺へ参拝してきました

入り口

浄土寺の入り口です。それでは中にはいって行ってみましょう。

浄土寺の駐車場

駐車場

浄土寺の駐車場です。

駐車場

浄土寺の山門

山門

浄土寺の山門です。

山門

浄土寺の手水場

手水場

浄土寺の手水場です。

浄土寺の鐘

鐘

浄土寺の鐘です。

浄土寺の本堂

本堂

浄土寺の本堂です。

浄土寺の大師堂

大師堂

浄土寺の大師堂です。

浄土寺の納経所

納経所

浄土寺の納経所です。

納経所

阿弥陀堂

阿弥陀堂

浄土寺の阿弥陀堂です。

愛染堂

愛染堂

浄土寺の愛染堂です。

浄土寺の御朱印

御朱印

浄土寺の御朱印です。

2014年11月10日に訪れた時の情報です

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