愛媛県の霊場

第44番札所・大寶寺

2023年8月14日

第44番札所・大寶寺

第44番札所・大寶寺の本堂

第44番札所:大寶寺の概要

名称 菅生山 大覚院 大寶寺
名称読み すごうざん だいかくいん だいほうじ
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観世音菩薩
開基 明神右京・隼人
創建 大宝元年(701)
真言 おん まか きゃろにきゃ そわか

大寶寺は、四十三番明石寺からの道のりは約80㎞、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す遍路ころがしの霊場のいわれています。

四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、中札所といわれており、四国山地に囲まれた標高579mに位置し、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂っています。

縁起は大和朝廷の時代まで遡り、百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していました。

飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀りました。

ときの文武天皇(在位697?707)はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで大寶寺と号し、創建されました。

弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めました。

仁平2年(1152)、全山を焼失しましたが、直後の保元年間(1156?59)に後白河天皇(在位1155?58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺としました。

このときに菅生山の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどでした。

その後天正の兵火で再び焼失、松山藩主の寄進で復興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなったが、さらに明治7年には3度目の全焼、火災との苦闘を宿命にしました。

第44番札所:大寶寺のアクセス

住所 〒791-1205 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2-1173
電話 0892-21-0044
駐車場 あり(無料)
宿坊 有り
公式サイト -

大寶寺へ参拝してきました

入り口

大寶寺の入り口です。それでは中にはいって行ってみましょう。

大寶寺の入り口

入り口
入り口

大寶寺の駐車場

駐車場

大寶寺の駐車場です。

駐車場
駐車場
こちらが一番下の駐車場です。ここから約200mほど歩くと歩道が出てきます。

大寶寺の山門

山門

大寶寺の山門です。

山門
山門
駐車場から山門までもちょっと歩きますが、山門を超えて本堂までもかなり石階段が続きます。

大寶寺の手水場

手水場

大寶寺の手水場です。

大寶寺の鐘

鐘

大寶寺の鐘です。

大寶寺の本堂

本堂

大寶寺の本堂です。

本堂

大寶寺の大師堂

大師堂

大寶寺の大師堂です。

大師堂

大寶寺の納経所

納経所

大寶寺の納経所です。

一番上の駐車場

一番上の駐車場

大寶寺の一番上の駐車場です。

大寶寺の御朱印

御朱印

大寶寺の御朱印です。

2014年11月10日に訪れた時の情報です

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